福田氏不出馬表明の件

自民党福田康夫官房長官が2006年7月21日、同年9月の自民党総裁選に立候補しない考えを表明しました。これに関して、記事がいっぱい出ておりますが、いくつかには福田氏が一時は立候補の意欲があったようだと記されています。

私は福田氏は出馬しないとずーっと思っていたので、驚きました。だって、福田氏は自分が総裁候補ではないという発言をしたことはあっても、総裁候補だという発言をしたことがなかったからです。特に、この数ヶ月、自民党反小泉勢力や朝日新聞が福田氏立候補への期待を表明するようになって、これじゃ仮に出る気があったって出られんだろと思ったり、あるいはこの状況を期待していたのかもと思ったりしていたのでした。

思い出すのは、官房長官をやめる状況です。私は、福田氏は年金問題が出る前から官房長官を辞めることを決めていたと思います。年金問題が出てからは、辞めることが最大の政治的利益を生むようなタイミングを見計らっていたのではないかと。
で、あのときが実にうまくいったので、今回も不出馬を表明するタイミングをずーっと見計らっていると読んでいたわけです。この数ヶ月、反小泉勢力がどんどんはしごを登ってくれるので、いつはしごを外すのが一番おいしいかを計算しているのではないかと。で、今回の昭和天皇発言メモの件で、反小泉勢力の意気が上がったところで、スパッとはしごを外したんだろうな、この数ヶ月フフフンのフンとか言いながら、いつ外そう、いつ外そうと楽しんでいたんじゃないかと。

そう思っていたので、立候補の意欲があったという記事に驚いたのでした。

もう一つ気になる点。不出馬の理由に北朝鮮のミサイル発射が挙げられていますが、これの記事が朝日新聞毎日新聞で根本的に異なっているのですね。

まずは朝日新聞の2006年07月23日06時53分付けの記事:

2カ月ほど前、森前首相は電話口で怒気を含んだ声を聞いた。

 声の主は福田氏。

 「福田さんは総裁選に出ない」と森氏が語ったとのうわさが政界に流れた直後のこと。「やる気はあるんだな」。森氏は感じた。

(中略)

だが、北朝鮮テポドン2などミサイルを発射し、事態は急転する。

 直後に党本部で開かれた会議で、福田氏は「一気に制裁ムードにならないような見方も必要だ」と発言した。安倍氏が先頭に立って、政府が即日北朝鮮の貨客船万景峰(マンギョンボン)号の入港禁止などの制裁措置をとったことに対する不満がにじんだ。

 一方、福田氏は親しい議員には「私がもし出馬して政権と違うことを言えば、国論が二分されている印象を与え(北朝鮮に)つけ込まれる。外に向けてはワンボイス(一つの声)だ」と語った。「国論の二分」に言及したのはこのときが初めてだった。

(中略)

もともと福田氏は、自ら出馬すれば父親の故福田赳夫元首相がつくった派閥を割りかねないとも懸念していた。福田氏はここ1週間、毎日のように派閥会長である森氏と会談を重ねた。不出馬に傾いた意向は19日に安倍氏、20日に青木幹雄参院議員会長にそれぞれ森氏が伝えた。

次に毎日新聞の7月23日3時5分更新の記事

9月の自民党総裁選への不出馬を表明した福田康夫官房長官が側近議員に対し、北朝鮮のミサイル発射問題を理由に今月3日時点で出馬見送りの考えを通告していたことが22日わかった。ミサイル問題で安倍晋三官房長官が対策の前面に出た場合、総裁選での対決は得策でない、との判断が強く働いたとみられる。

(中略)

福田氏は今月3日、東京都内の料理店で同氏の出馬を期待していた山本拓衆院議員(森派)と会食した。ステーキを食べつつ福田氏は山本氏に「近く北朝鮮がミサイルを発射する、という情報を得ている」とにおわせた。
 「日本を取り巻く状況が非常に困難な事態になる。そういう時に総裁選にあえて出る必要はない。安倍君に思う存分やらせればいい。それでうまくいくならいいじゃないか」
 事実上の不出馬宣言だった。事実、5日に北朝鮮からミサイルが連射されて以降、福田氏は総裁選に関する発言を封印した。

決断の時期は、朝日新聞は発射後しかもごく最近とし、一方、毎日新聞は発射前としています。私は、ずーっと不出馬の意向だったと思っていますので、毎日の方が私の観測と整合しています。ただ、それを横に置いておいても、毎日新聞の記事には、ミサイル発射前の7月3日の会合での発言が記されていますので、信憑性はこちらの方が高いと思います。

というか、この会合での発言が嘘でない限り、朝日新聞の記事は見当外れもいいとこです。今頃、当該記事を書いた記者は頭をかきむしっているのではないでしょうか?