「表現の不自由展・その後」政治家が一番に考えるべきこと

「表現の不自由展・その後」が、抗議が殺到して事務局がマヒしていること、『撤去をしなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する』というFAXもあったことなどから、中止となりました。前者は予想されることであり準備不足だとしか思わないのですが、脅迫があったこと、それが中止の理由となったことは非常に残念です。また、該当作品の展示停止だけにとどまらず、企画そのものが中止になったことも残念です。

そのこととは別に、本件で気になったのは、企画者は何を表現の不自由と考えているのかという点です。これがよくわからない。「表現の自由」に否定の「不」をつけたわけですから、普通は表現の禁止を意味するものと考えられます。

しかし、今回の展示物は、

  • 展示はできたが企画に補助金が下りなかった
  • 一部の文章表現が修正された
  • 特定の企画で展示できなかった

だけです。前2者では展示できていますし、最後のも別の場所で展示できていますから、表現の自由は守られています。したがって、この企画における「表現の不自由」は、表現の禁止を意味するものではありません。次のリンクに、各展示の説明があり、これらの点を確認できます。

https://censorship.social/

 

 

そのことを考える前に、本稿ではいくつか思ったことを書いておきます。

まず最初に思ったこと。このような脅迫は、今回のような物議をかもす展示会だけでなく、ありとあらゆる行事で発生しうるものです。実際に、表現の自由がかかわらない学校などでの公的行事が中止になった事例があります。脅迫そのものを防ぐのは難しいというか、不可能でしょうから、中止を防ぐことに焦点を置くことになると思いますが、どうしたらいいのか、まったくいいアイデアが浮かびません。

二番目に思ったこと。いろんな政治家が展示企画と展示物を公費の使用目的という観点から批判していますが、政治家が考えるべきはそんなことよりも脅迫への対処方法でしょう。

三番目に思ったこと。SNSへのアップを禁止しているようですが、それこそ表現の不自由では?

四番目に思ったこと。作品名「平和の少女像」、いわゆる慰安婦像は、もともと政治的プロパガンダのツールとして作られたものであり、これの展示が非政治的な企画の目的や公費の使用目的に不適当となるのは当たり前です。その理由で展示拒否されることを、不自由と表現するのはおかしいでしょう。私費だけで開催される、政治的主張が許される企画で展示すればよいだけの話であり、実際、今までそのようにして展示されています。

四番目のものが、表現の不自由って何だろうという疑問を抱くきっかけになったのですが、本稿で言いたいのは二番目のことです。

ニュースを読む限り、中止になった理由は、一通の脅迫FAXです。しかも、いたずらの可能性が高いものです。こんないたずら一件で中止になってしまうというのを今後どう防げばいいのか、それが一番重要だと思うのです。このような事例は今回だけではありません。過去に、学校行事、各種イベントなど、多数が中止に追い込まれています。

国会議員ならば、ぜひその点を考えて、対策を立法化していただきたいものです。