三沢死亡

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090613-00000097-mai-soci
まだYahooには出ていないようですが、三沢光晴が死亡したそうです。
ショック。

23:35 今見たら、記事が死亡記事に変わっていました。
23:42 さっきまで数行だった記事が急に充実してびっくりした。引用します。

<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島
6月13日22時1分配信 毎日新聞

13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。広島県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。

 大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。「医師はいませんか」との呼びかけに応じて出てきた観客の男性がAED(自動体外式除細動器)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。

 三沢選手は栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名でファイト。ジャイアント馬場ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。06年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。

 試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて。早く元気になって帰ってきてほしい」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった。死なないで」と祈るように話した。【加藤小夜、星大樹】

 ◇男子プロレスで死亡、00年に初の事例

 日本にプロレス興行が根付いた1953年以降、国内での試合中の事故が原因で死亡したのは、97年にJWP女子プロレスのプラム麻里子さん(当時29歳)が最初。相手の技を受け、頭部を強打したものだった。男子では00年に、栃木・足利工大付レスリング部で三沢さんの後輩となる新日本プロレス福田雅一さん(当時27歳)が同様に頭部を強く打って死亡したのが、初の事例となった。

23:50 それにしても対戦相手も、重病から復活した小橋もたまらんだろうな。広島県立総合体育館での「サザンナビ09」広島大会での出来事だったそうです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090613-00001053-yom-spo

13日午後8時45分頃、広島市中区広島県立総合体育館グリーンアリーナで、プロレスリング・ノアの試合中、ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が相手選手に投げられ、頭部を強打した。

 三沢さんは救急車で市内の病院に運ばれたが、同10時10分、死亡が確認された。

 大会関係者によると、三さんはこの日、開かれた「サザンナビ09」広島大会のメーンイベントのGHCタッグ選手権に出場し、相手選手にバックドロップをかけられ、リングで頭を強打し、意識を失ったという。

 ノアの公式ホームページなどによると、三沢さんは埼玉県越谷市出身。1981年にプロレスにデビュー。2代目タイガーマスクとして人気を集めた。2000年に全日本プロレスを退団し、理想のプロレスを目指してノアを創設した。

23:56 うるぐすで速報。AEDの箱が空だった。
00:30 ジャンボの時は予想していた。橋本はなんとなく短命の予感があった。馬場は驚いたが、年齢的にそういうこともあるかと思った。しかし、三沢は。。。完全に青天の霹靂。この3年ほど、テレビで試合を見ていないことも悲しい。