漢字とひらがなとのバランスから様々なことを思う

ちょうど書いていた一文に合致する話題があったので、関連させて記事にしてみた。


【事→こと、時→とき】素人さんの原稿にありがちな平仮名にしたほうが読みやすい文字
http://togetter.com/li/822130


上記リンク先では、漢字よりも平仮名にした方が可読性が上がる場合があるという話がされている。つまり、漢字とひらがなのバランスの問題。

ちなみに、語順の問題もあるよね。例えば、本記事の表題を「ひらがなと漢字とのバランス」にするとか。漢字の使用は文節の明示にもなっているので、平仮名が続くと文節の分かれ目が判別しづらくて読みにくい、そんな時は漢字がばらまかれるように書き換えたりしている。

結局のところ、多過ぎても少な過ぎても読みにくい(←「過」を使うとちょっと読みにくい)。


どのバランスが良いか、個人差があることはわかる。年齢差や時代差はどうなんだろう? 年齢差は調査可能なので、調べると面白いかも。 漢字だらけで改行極小だった昔の人が今の本を読んだらどうなんだろう?


以下、原稿料水増しテクニック、SF作家、昔の本、ライトノベル佐伯泰英に順次言及する。SF作家以外は元の一文にもあった話題。


さて、上記リンク先のコメント欄で原稿料水増しについての言い争いが発生している。事、物などを開く(ひらがなにする)ことで文字数が増えることに対して、堂々と使える原稿料Up手段と揶揄した人がいる。それに、複数の人がわずかな稼ぎでしかない、そこが重要なのではないと反論。

確かに文字数の増加は大したことないかもしれないが、文字数が少し増加→段落単位で行数が増加→原稿料Upという手法は、ありうる。小中高大の全期間どころか、今でも使用している、私のテクニックである。水増しという利点だけでなく、増量しておくと、段落の最終行の文字数が少なくなるため、修正を段落単位で閉じやすく、ケアレスミスの多い私にはとても便利だったんだよね。

一段落五行とすると、40行原稿用紙1枚に8段落。その半分で行数水増しに成功すれば4行、すなわち10%の増量。作文や読書感想文、反省文(←これを書かなければいけないこと自体が問題)など、主観表現を強要されるものが苦手だった私には必須のテクニックだった。その他、文字数が多くなる表現への書き換え、主観部分が極力少なくなるように他の部分を多くする構成などの工夫も加えて、当社比で常時20%ぐらい増量していた。当然、段落・改行が多くなるように文章構造を工夫することも行っていた。その時の努力で培ったテクニックが、今は目標を変えて、行数を減らす、文章を読み易くする(これも当社比で)という面で役に立っているような気がする(ここでの「時」、「培」は漢字のままの方が私には読みやすい。「やすい」は平仮名の方が読みやすい)。


書き換えの第一手段は、すべての文で主語、目的語、修飾節を逐一入れるというもの。第二手段は、接続詞が必要になるように文章を入れ替えるというもの。ではあったが、これらを全部実行すると読めない文章になることを発見。そこで次の努力として、読めるという最低ラインを維持しつつ増量するということでして、この努力で培った感覚が今、役立っているような気がする。

そういえば、こういう工夫ができることに気が付いた切っ掛けは、○○文字以内で答えよという問題だったような気がする。どうも「気がする」が多いような気がする。


ちなみに、「原稿料増加」よりも「原稿料水まし」、それより「原稿料水増し」、「原稿料UP」が読みやすく、さらに一番「原稿料Up」が読みやすいということに気付く。でもこれでは、原稿料Downだ(英字半角ならばだけど)。


コメント欄で、SF作家福島正実矢野徹が 子供向きに翻訳していた→平仮名が多い ということを言っている人もいる。福島正実は子供向けはともかく、大人向けは漢字が多かったような。矢野徹は確かに平仮名が多かったかもしれない。自著やハインライン、ローマーの訳書はそんな印象があるが、ジョンWキャンベルやヴォクトのは漢字が多かったような。あと豊田有恒半村良も平仮名派の印象がある。まあ、半村良には伝奇SFが多数あり、それらは漢字が多くなってしまうものだけど。一方、小松左京光瀬龍は漢字派、筒井康隆は本によって意識的に変える派のような気がする。


昔の本は、漢字が多く改行が少なかった。ただ、個人的には若いころに出た小説を読んでも、読みやすさが今の小説とほとんど変わらない。確かに、昔の本をパッと見た瞬間は読みにくいと感じるが、読み始めると全然支障がない。さらに時代をさかのぼると、どんどん読みにくくなる。ただ、1960年代までは、印刷品質やレイアウトが影響している。そこからさらに遡って、戦前になると、もう今は使わないところで漢字を使っていたり、今とは異なる漢字を使っていたりすることが原因で読みにくくなっている。


コメント欄でラノベへの言及もある。平仮名が多く、改行も多い。私にとっては、逆に読みにくい場合もあるが、まあ、そういうジャンルなんだろうと納得している。


いまだに納得できないのが、佐伯泰英。読みやすいのはわかるけど、改行多過ぎ。読みやすさを落とさずに30%は改行を減らせる(当社による推定)。これこそ原稿料水増しと非難したいぐらい(だけど漢字は少なくないので、たぶん増量目的ではない)。読むのが速く、複数の本を持ち歩く私にとっては、重量当たりの文字数は重要。とはいえ、改行の多さがベストセラーにつながっているかも知れない。


話をラノベに戻すが、ラノベ擬音が多い。実は私は擬音を読むのが苦手である。意味がないからであろう。擬音の部分だけ、読む速度が落ちるため、リズムが崩されて不快である。そのため、擬音は何の音かが分かった段階で読み飛ばすことにしている。そういう意味では、ラノベを十分には楽しんでいないのかもしれない。

今年に入って気が付いたのであるが、単行本タイプのラノベが多数出ており、本屋の単行本コーナーの一角を占めている。で、つらつらと眺めてみたのであるが、ファンタジー系が多く、「もし○○が魔法世界に行ったら」タイプの本が多い。○○には弁護士料理人などが入る。「もし○○が××だったら」は確かに本のアイデアを創出するための基本フォーマットの一つであるが、それよりもコメディでよく活用されているように思う。ドリフターズが典型ですね。もしかしたら、ラノベとコメディの発想法は同じなのかもしれない。ということは、お笑いのフォーマットの一つであるシュールのようなラノベもあったりして。


しかし、ラノベコーナーを見て、寂しさを感じた。宇宙物のラノベが少ないのである。笹本祐一吉岡平のファンである私にとっては、非常に寂しいことである。ラノベ作家の方々、是非是非宇宙物をもっと書いてくださるようお願いします。できれば、擬音少な目で。