光市母子殺害事件

さて、光市母子殺害事件の裁判で弁護人が欠席したそうです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060314i113.htm

山口の母子殺害、弁護士欠席で口頭弁論開けず…最高裁

山口県光市の本村洋さん(29)宅で1999年、妻(当時23歳)と長女(同11か月)が殺害された事件で殺人罪などに問われ、1、2審で無期懲役の判決を受けた同市内の元会社員(24)(犯行時18歳)について、最高裁第3小法廷は14日、死刑を求める検察側の上告を受けた口頭弁論を開こうとした。だが弁護士が2人とも出廷せず、弁論を開くことができなかった。

(中略)

死刑廃止運動を進める安田好弘、足立修一両弁護士が、今月6日に辞任した弁護士に代わって就任。「日本弁護士連合会が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサルで、丸一日拘束される」との理由で、この日の法廷を欠席した。

(中略)

安田弁護士らは今月7日付で、弁論を3か月延期するよう求める申請書も最高裁に提出しているが、翌日却下されていた。安田弁護士はこの日、「被告の言い分に最近変化があり、接見や記録の検討を重ねる時間が必要。裁判を長引かせる意図はない」とする声明を出した。

この弁護人の行動に興味を惹かれて少し調べてみました。

予定の行動?

高裁上告審を担当し、さらに最高裁上告審も担当しておきながら、口頭弁論直前の今月6日に辞任したという弁護士は、定者吉人氏だそうです。その人のホームページらしきものはこちら。

http://yoshito-net.com/modules/bwiki/index.php?RecentChanges

死刑制度の廃止と子供の権利条約に力を入れておられるようです。すなわち、死刑廃止論者の弁護士が口頭弁論直前に止めて、死刑廃止論者の弁護士に代わり、準備不足と日程不都合を理由に欠席したわけです。どう見ても審議引き延ばしを狙った予定の行動だとしか思えません。

定者吉人氏の死刑廃止論

定者吉人氏のサイトに「死刑制度は憲法違反」というページがあります。そこの最初の段落で、吉見氏は次のように主張しています。

  • 憲法11条と13条で、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」「またすべて国民は、個人として尊重される。」と定められている。
  • 人の命は基本的人権の前提・基礎である。したがって、憲法は、生きる権利を、全ての人権に先立ち、根本的権利として保障している。
  • 憲法が「すべて」の国民に命と基本的人権を保障している以上、国は基本的人権の基礎である生きる権利を奪う死刑を行うべきではない。

この論理では死刑廃止の根拠を憲法そのものに求めていますが、この点は理解できません。憲法が命を保障していると有りますが、これは「公共の福祉に反しない限り」という限定条件付きですし、第31条には死刑に関する記述があります。したがって、憲法は明確に死刑制度を許容していると言わざるを得ず、その憲法そのものに死刑制度廃止の根拠を求めるのは矛盾じゃないの?と思うのです。
また、第2段落では、

  • 犯罪の原因は、犯人だけに帰せられるものではない。特に少年事件の場合には。
  • しかし、死刑という刑罰は、国が、責任のすべてをその犯人にかぶせて殺すことで事件を一件落着させ、その犯罪の原因探求及び対策をおそろかにすることを可能にする。

と主張されます。これもよく分かりません。死刑にしなくても、原因探求及び対策がおろそかになることはままあること、というよりそれが普通のような気がします。死刑廃止と犯罪の原因探求及び対策とをリンクさせるのは無理があるように感じます。
さらに第3段落には、死刑の犯罪抑止効果に関連して次のような記述があります。

殺人行為は、熟慮の末というよりも、一定の状況においこまれた犯行者における、爆発的な感情の高まり、興奮状態、あるいは薬物利用下に起きるものであり、冷静な判断力、利害得失を考える力は喪われているのが通常であって、そのようなとき、犯人には、その結果、自分が死刑になるということはまったく頭にないのですから、死刑の存在は抑止力としてまったく無力です。

ここに記述されたような衝動殺人が多いことは事実ですが、計画殺人が多いことも事実です。また、定者氏が弁護を担当した光市母子殺害事件に関しては、衝動殺人には思えません。抑止効果を否定する論理を短く綴ったがために、不十分な記述になったのかもしれませんが、それにしても説得力が全く感じられません。
最後の2段落では、被害者遺族へのケアの重要性を述べています。しかし、申し訳ないのですが、死刑制度反対に関する記述に比べて非常に淡泊で、本気度がかなり落ちるように感じました。まるで、アリバイ作りのような文章に感じられます。私は、明確な死刑存置派でも廃止派でも有りませんが、定者氏の文章で死刑廃止論に対する共感は覚えませんでした。むしろ少し反感を感じてしまいました。その最大の理由はこの最後の2段落にあります。
えーと、何が言いたいかというと、こういう中途半端なアリバイ作りに見えてしまうような文章は、死刑制度反対論に対する説得力を損なわせ、逆効果でしかないということです。

弁護人欠席戦術の効果

元に戻って、今回の欠席について。時系列を記述すると、安田好弘氏らの弁護人就任が3か4日、定者吉人氏の辞任が6日、公判延期の申請が7日、その却下通知が8日、欠席の連絡は13日午後となります。弁護士の交代が弁論直前であること、却下通知から欠席連絡まで業務日で1日半あることから、今回の欠席は、被告人に死刑が下されるのを避けるための法廷戦術として行ったものに見えます。このことは、世間に対して共感よりも反感を集めてしまうでしょうし、法廷においても裁判官の印象を悪くするだけです。欠席が実際には法廷戦術でなかったとしても、そう見えてしまうだけでダメです。
安田好弘氏や定者吉人氏を見る限り、死刑廃止派の弁護士は死刑廃止論に対する共感を広めると言うより、反感を広めているように見えます。私が心配することではありませんが、大丈夫なのでしょうか?